ミュージシャン 白井貴子 さん
--子どもの頃はどこに住んでいて、どんな遊びが好きでしたか?
生まれたのは神奈川県の藤沢、鵠沼です。海に近い街で、小さい頃は森を駆け抜けて、田んぼを駆け抜けて遊んでいました。ザリガニを取ったり、沢ガニを取ったり、自然の中を駆け回って遊んでいましたね。
--これまでの人生の中で、最も印象深くイキイキとしていた体験は?
フェリス女学院大学に通っていた時に、授業の一環で「第九」のコーラスを全員で歌うんですが、それがすごく楽しみでした。あの時に、自分が音楽に包まれているのが本当によくわかって、楽しいなと思いましたね。なんて音楽って素晴らしいんだろうっていうのを、第九のコンサートを通じて全身全霊で感じたのが忘れられないです。
2001年に神奈川県の合唱曲を作った時に、同じようなことを神奈川県民ホールでやらせて頂いたんですが、その時もみんなで歌うことでのマンパワーを感じて、第九を歌って感動した時のことを思い出しましたね。
--その体験から学び、今も大切にしていることはありますか?
そこで音楽の素晴らしさを体感したからこそ、またもっと次やろう、もっと次いいのをやりたいっていう気持ちになっています。すごく素晴らしいものだから、子どもたちにもそういう気持ちを体験させてあげたいという思いになりました。私が小さい頃、自然がおもちゃ箱で、そこで楽しい思いをしたことを今の子どもたちにも体験させてあげたい、という気持ちにもつながっていますね。
--横浜に対して「愛着」や「なつかしさ」、「つながり」を感じることを教えて下さい
横浜の洋館がすごく好きだったんです。中学校・高校時代を京都で過ごしたというのもあって、歴史的建造物に囲まれているのが好きだったんですね。大学にフェリス女学院を選んだのも、横浜でも特に洋館が多い場所にキャンパスがあるというのが理由でした。洋館が立ち並ぶ、そういう空間に足を運びたいという気持ちで横浜に来ていましたね。
--その体験の中に、白井さんだけが知っている「横浜の魅力」、残していきたい「横浜の財産」はありますか?
すごく忘れられないのは、米軍の人たちが駐在していた本牧エリアのなだらかな丘に、ポツリポツリと山小屋みたいな小さいコテージがいくつかあって、すごく素敵だったんです。こんなところに住みたいと思って、写真を一枚撮ったんですけど、その写真は今でも持っています。みんなでやっていたコーラスのバンドメンバー全員でその丘に遊びに行ったことがあったんですけど、ここが音楽村になったらいいのになって思いましたね。好きに自由に音楽ができるから、これをそのまま残せばいいのにと感じました。
--今晩深い眠りについて明日の朝目が覚めたら、そこはなんと10年後の2019年になっていました!そして、そこでは白井さんが「横浜がこんな都市になったら素晴らしいな」と思い描いたことが全て実現した世界になっていて、世代を超えて人々の口から横浜の素晴らしさを語る声が聞こえてきます。
では10年後の白井さんの目に映る横浜、それは一体どのような街で、どんな情景が見えますか?そして、訪れる人々は、住んでいる市民は、どのように楽しんでいますか?
横浜の綺麗な街並が大好きで憧れていたので、今は汚れてしまっている横浜の川が、将来は綺麗になって、魚が一匹でも多く戻ってくるような水の流れに変わればと思います。自分の会社「ROD」も、「River Of Dreams」という意味で、自分の家の近くを流れている川がきれいになれば、しいては海も綺麗になるという思いを込めてつけた会社名なんです。もっと環境に配慮して、空気も森も川も海も、もっともっと綺麗になったらいいなと思います。
--その未来の横浜は、他の都市に対してどのように際立つ存在になっているでしょうか?
これまでいろんな外国のものが入ってきた横浜ですから、今度は逆に横浜から素晴らしいものを輸出できたらと思います。私がやり始めているのは、「童謡」を輸出すること。この神奈川県の中で、日本を代表する童謡がたくさん生まれているんです。日本の童謡自体が、今は子どもたちにあまり知られていないので、誰かが歌い継がないと消えていってしまいます。純国産の生活感が溢れている童謡を横浜から伝えることは、日本だけでなく世界中の人たちにとっても意味があると思っています。
--10年、20年、50年後、次世代の子どもたちに残したいかけがえのない横浜の価値、横浜の魅力とはどういうものだと思いますか?
何よりも、都会に住む子どもたちに自然の素晴らしさを教えてあげられたらと思います。大半はアスファルトの上で暮らしている子どもたちに、1分でも多く土の上にいてもらいたいと思うので、森でたくさん遊ばせてあげられるようにしたいです。川で魚が飛び跳ねているような横浜にしていきたいと思っています。

